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- Date:2025年03月13日
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その夜は、剣心を始めとする男性陣、そして薫たち女性陣と二部屋に分かれて床をとった。
船旅と戦いの疲れが出たのか、それぞれの眠りは深く、寝返りさえ打つ様子もない。
だが、薫は何故か寝付けなかった。剣心の怪我の具合も心配だったが、身体は疲れているのに脳内だけが興奮したような状態なのだ。薫はそっとふすまを開け、部屋を出た。
縁側に出て、空を見上げる。三日月が笑っているような感じがした。
「ああ、戻って来たんだ」
見慣れた庭を改めて見回す。夜の闇に隠れ、ほとんどが見えにくいが、辛うじて三日月の光によって、見えるところもある。
薫は剣心との来し方を思った。
初めて出会った冬の夜。もうずいぶんと昔の事のように思うが、実はまだ半年程しか経っていない。ここで一緒に暮らした時間は短いが、それでも中身は驚くほど濃い。
いくつもの思い出が、次々と思い出され、薫は懐かしそうに笑みを浮かべた。だが、呑気に昔を懐かしんでいる余裕などない。薫の顔から笑みが消えた。
日本の歴史の舞台裏で動き、そして今や日本政府が喉から手が出るほど欲しがっている、緋村剣心という男の能力(ちから)。その男の傍で共に歩くことが、どれだけ覚悟が必要なのか。当然、安穏とした暮らしが保障されているわけでもない。
「薫殿…?」
背後から声が聞えて振り向けば、剣心が薄闇の中、怪訝な表情でこちらを見ていた。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
座ったままの姿勢で、顔だけ振り向き詫びた。
「いや、そうではない。そうではないが…薫殿はどうしたのでござるか?」
「何だか眠れなくて。身体はすごく疲れているのに、頭が冴えちゃってるの」
不思議ね、と言いながら、寝間着の袷をさりげなく直した。いくら心が通い合っているとはいえ、寝間着姿は憚られる。
「拙者も同じようなものでござるよ」
薫の隣で腰を降ろし、あぐらをかいた。
「…怪我は…痛む?」
縁との闘いで負った左腕の刀傷は、思ったより深手だった。何針か縫う重症だ。時折、ずくり、とえぐるような痛みを覚えた。剣心はそのたび顔を歪めた。その様子に気が付かぬ薫ではない。その歪んだ表情は、ただの傷の痛みからくるものなのか、それとも…。薫は剣心の腕に触れた。
「大丈夫でござるよ。じきに癒える。それより、薫殿は?」
薫の心中を思うのか、さらっとした表情だ。こんな時でも、他人(ひと)を思いやる。薫には、それが嬉しくて、少し、辛い。
「私の事は大丈夫。だって、何も傷ついていない。怪我も何もないのだから」
ほら、ピンピンしてるでしょう?とおどけた。
「いや、そうではない、薫殿。怪我ではなく、ここ」
そう言って剣心は自分の胸を拳で軽く二、三度叩いた・
「随分、怖い目に遭わせてしまった。縁のことは言わば私闘。薫殿たちには全く関係ないのに、こんな形で巻き込んでしまって。本当に済まなかった」
唇をきりきりと噛みながら、剣心が頭を下げた。
「剣心…」
「もっと早くに縁とは決着をつけるべきだった。何か手立てがあったはずなのに、それを怠り、過去から逃げていた罰があたったのだと…その罰が拙者にかかってくるのなら、全てを受け入れはするが、結局は一番大切な薫殿をあんな目に遭わせてしまった。本当にすま…」
だめ。
それ以上、言ってはだめ。
薫は剣心の唇を、しなやかな人差し指で制す。
「あなたはもう十分に傷ついた。それ以上、自分を責めちゃ、巴さんが悲しむわ」
「…薫殿」
「私ね…あの海辺での闘いを見ながら思ったの」
――本当は巴さんがこんな闘いを望んでいるはずないと、縁が一番それを感じていたんじゃなかったのかって。
けれど、それに抗うように、憎しみの情を全て剣心にぶつけてきた。
つまり、そうするしかなかった。
剣心を憎むしか術は無かった。
何が悪かったのか。
誰も、何も、悪くはない。
みな、愛する人と、愛する国のために戦った。
今は亡き父も、縁も、そして、目の前で、時折苦しそうに顔を歪めるこのひとも。
誰も好きこのんで死地に赴いて行くはずはない。喜々として人に刃を向けるはずもない。
今なら、わかる。緋村剣心と言う男と関わった今なら。
縁が最後に見せた涙は、姉を思う思慕の涙だけではあるまい。
悔恨と苦悩、そして、薫がほんの少しの宥恕(ゆうじょ)を感じたのは考えすぎか。
一つだけ、剣心には黙っていることがある。
孤島にいる間、一度だけ、縁に抱きすくめられた。と言っても、縁が意識的にそうしたのではない。ついでに作った朝食を持って行った際に、夢と現の境がわからなかったのだろう。縁は肩を震わせ、まるで子供の様にすがってきた。
ぬくもりを…欲しているのだ、この男は。薫は無意識に縁を抱きしめていた。これが母性というものだろうか。本当は剣心の命を狙う憎き相手なのに、この時だけは愛しくてたまらない、と思ってしまった。
――大丈夫だから。
肩を撫で、髪を撫でた。
しばらくそのままの格好でいたが、我に戻った縁が一番驚いたのだろう、薫を力いっぱい突き飛ばした。
「出て行け」
呻くような低い声は、泣き声にも聞こえた。
「彼はあなたを許せなかった。でもそれ以上に、自分の行為に矛盾を感じていたのも、彼自身だったのかもしれない。」
だからと言って、縁の罪が赦されるわけはない。剣心がすべてを背負いこれからの人生を歩んでいくように、縁自身も罪を背負わなければならない。
「今頃…何をしているのかしらね」
薫が束の間月を見る。日本のどこかで、彼もまた眠れない夜を過ごしているのだろうか。ひとりは辛いだろうに。薫の脳裏に、子供の様の怯える縁の顔が過った。
「薫殿…」
剣心の手が薫の腕を取り、ぐいっと引っ張った。
「…ありがとう」
突然の抱擁に、薫が言葉を失った。
「け…」
「薫殿に会えて…良かった」
もし会えていなかったら、自分は救われていなかった。暗闇の中、何の光明を見つけ出すことも出来ず、そのままずっと流浪れていたであろう。
「私は…何にもしていないわよ?」
剣心は首を振った。違う。薫に出会えた縁(えん)が、己を生きさせる。
「一つ…わがままを言っていいでござるか?」
薫を抱きしめる手を緩めるでもなく、そのままの格好で剣心が言う。
「なあに?」
「京都に…巴の墓参りに、拙者と共に行ってくれぬか?」
思わず言葉をのむ。
でも、それは…
思いは通じ合っても、まだそこまでの立場を許されているとは思っていない。
「…迷惑だろうか?」
薫の反応に、不安な表情になる。
「違うの。私でいいのかって。」
「薫殿だから頼んでいるでござる。もし、迷惑でなければ…」
「迷惑だなんて…そんなことないわ」
薫の逡巡する表情に、剣心は不安を覚えた。傍にいて欲しい…この思いをどう伝えよう。上手い言葉が見つからない。
「巴を忘れることは出来ない。今でも思い出の中に彼女は生き続けている。けれど、今回の縁の件をきっかけに、新しい明日を踏み出そうと思う」
だから、その節目に、薫殿、どうか…
「…わかった。一緒に行くわ。そんな怪我じゃ、あなたを一人になんかできやしないもの」
良かった…薫の返事に安堵したのか、少し力を緩めた。
「…ありがとう。」
髪を撫でられた。
両頬を手のひらで包まれた。
唇が重なった。重なった部分から、互いの体温(ぬくもり)を感じる。
――ああ、生きている。