[PR]
- Category:
- Date:2025年03月13日
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
それぞれが明日の出立の準備に忙しい中、その男は庭に出て素振りをしていた。身の丈なら六尺余りか。うっすらと汗まで掻いての素振りに、勝は自然と足を止めた。
猛る猛者が多い中、殺気がなさすぎて逆に目についたのだ。頑丈な体躯とは裏腹な、優しい眼差しはその男の人柄を表しているようだった。
「こ、これは、勝先生」
勝の視線に気づいた男が慌てて頭を下げた。まさか、あの勝が自分の素振りを見ているとは思わなかった。
「ああ、すまねえな。俺に構わずやってくれ」
「いや、そろそろ終わりにしようと思っていたんで」
男は低頭したまま答えた。
「随分、熱心に振ってたな」
勝は自分の両手を振って、素振りの真似をしてみせた。
「お恥ずかしいところを。皆の足手まといにならぬよう、時間のある時はこうして振ってます」
「いやあ、そうでもねえだろう」
自らも若い時は剣の修行に明け暮れた。直心影流免許皆伝の腕は、若い頃の激しさはないものの未だ衰えず、そしてその眼光は鋭い。目の前の男の技量は、すぐにわかった。
ちょっくらごめんよ。
勝はそう言って、縁側に胡坐をかいた。
「おめえさん、なんで薩摩出兵に志願した?」
唐突に聞かれ、返答に窮した。ただ闇雲に志願したわけではない。だが、それを言っていいものかどうか逡巡した。何せ目の前にいるのは、あの勝である。さすがに、言葉を選んでしまう。
「なあに、オイラ、別に政府の回し者じゃねえ。それに、ここはオイラとおめえさんと二人っきりだ。遠慮はいらねえよ」
勝の言葉に、男はしばらく黙っていたが、
「少しでも…死人(しびと)を出さぬために…」
「…ほう」
「いや。まこともって、情けないとは思うております。私も剣術を生業とする身。本来ならばこういうときこそ、日ごろの成果を発揮し政府に貢献せねば、と思うておりましたが。」
「…おりましたが…?」
「やはり…もう戦は終わりにしなければならぬと。現在(いま)を生きる子供たちのために、戦は必要ないのでは…と思うております」
「そうか…」
勝の言葉が優しい。
「私は人を殺めるためにこの戦に行くのではなく、人を活かすために行きたいと…いや、お忘れください。たかだか一介の小さな剣術道場の主がほざく戯言(たわごと)です。実際に戦場に行けば、そんなことは言っていられないのは重々承知です。それでも、行かずにはいられなかった…」
「おめえさん、家族はどうした?」
「娘が一人。家内は亡くなりました」
「じゃあ、何かい?娘さんは一人っきりで留守番かい?」
男は曖昧な笑みを浮かべた。その曖昧な笑みの中に、この男の娘に対する思いが感じられた。
「娘さん、いくつだい?」
「んー…確か…15になるかと」
男親など娘の年齢にはそう頓着しない。この男も御多分に漏れず、のようだ。
「心配じゃねえのか?一人っきりで残して」
年若いおなごが、たった一人きりで道場を守る。それは並大抵のことではない。それに、行く先は戦場だ。命の保証などない。もしもの時は、娘は一人残されてしまうのだ。
「娘も剣術を習う身。お恥ずかしながら、『剣術小町』と周りから囃されている以上、何とか自分で身を守りましょう」
「ほお?娘さんも剣術を。」
「お転婆で困っております。15にもなれば、そろそろ嫁入りの話も出るころだというのに。」
「なーにを言ってやがんでぃ。口じゃあそんなこと言いながら、内心じゃぁ、まだまだって思ってるんだろう?オイラも娘を持つ身だ。おまえさんの気持ち、わかるぜ」
ふふんと勝は笑い、腕組みをした。
「で、おまえさん、この戦…どう思う」
勝の言葉に、男はすいと目を細めた。
「どう、と言いますと?」
「西郷を、止められる術はねえだろうな」
徳川が二百六十年の歴史を閉じたとき、江戸城を出る天璋院(篤姫)が何度も念を押した。
――勝よ。民を守れ。国を守れ。そちは、その為に生きよ。
と。勝は思う。この国を強く保つには、西郷の知恵が必要だ。あの男の中に燃える、静かな炎を新政府のためにもう一度欲しい。
「勝先生。私は西郷さんに会ったことはありません。ですが、あのお方は自分の信念を貫かれている方なんでしょう。自分が全て背負うことで、この戦を収める気でいるんじゃないでしょうかね。」
多分、結果はわかっている。勝も、そして西郷も。
わかっていても動くか、西郷…命を捨てるか、西郷…
「武士(もののふ)なんざ、クソくらえだ…」
勝は唇を噛みしめた。
「ああ、そうだ。先生。これ…」
男は懐から小さな巾着を取り出した。それを、まるで勝に差し出すように中を開いて見せた。
「おお?これは?」
中から出てきたのは、色とりどりの小さなお守りだった。
「娘が持たせてくれました。裁縫なんて一番苦手なのに、一針一針丁寧に。たくさん持って行けばそれだけご利益あるかもしれないって、ほら」
男はひいふうみい、と小さなそれらを数え、
「五つも持たせてくれました」
と苦笑した。
「先生、ひとつ、もらってやって下さい」
男の申し出に、勝は怪訝な顔をした。
「オイラが?オイラは薩摩へは行かねえよ?こいつはお前さんが大事に…」
いや、と男は首を横に振った。
「先ほどの先生の檄、心底沁みいりました。今は、この国のために同じ日本人同士が争っている場合じゃない。明治の世になって、更に国を強くするためには多くの人材が必要です。私は薩摩を成敗するために行くのではありません。止めに行くのです」
ですから、と男はお守りの一つを勝に差し出した。
「先生、これを持って、皆の無事を祈ってやってくれませんか?」
おなごのようですかね、と男は笑う。
「…いや。そんなことねえさ」
勝の武骨な指がお守りを摘まむ。指先で桃色がゆらゆらと揺れた。
「ありがとうよ。せいぜい命を大切にな。絶対、無茶するんじゃねえぞ」
「はい」
男は強く首肯した。
お前さん、名前は?と聞こうとしたとき、奥の方から別の声がした。
――越さん、越さーん!?
呼んでいる方は、まさかそこに勝がいることなど全く知らないだろう。越さんというのは、その男の呼び名のようだ。
「ああ、申し訳ないです。仲間が呼んでいます。おそらく明日の準備に手が足りんのでしょう。わたしばかりがここで先生と話をしていたら、怒られてしまいます。」
そう言って笑うと、
「では、失礼します。」
男は深々と一礼すると、名前も告げずにその場から去って行った。
ああ、確か、「越さん」と。そして小さいけれど剣術道場を開いていると言っていた。
ほんの僅かな時間、話しただけの「越さん」と名乗る男のことは、勝の記憶から次第に薄れていった。
時は過ぎ、神谷薫に出会った時から感じていたこの懐かしさの理由を、勝はどうしても思い出したかった。そして、たった今、繋がった。思い出が。人の縁が。
「あのお守り…」
一度思い出すと、記憶がどんどん蘇る。そうだ、あのお守りは、娘に託したのだった。
「おい、いるか?」
奥で夕餉の支度をしている娘を呼びつける。
お前、覚えているか、あのお守り…。
すると娘は、ああ、と軽く手を叩き、居間の隅に置いてある三つ引き出しを探し始めた。
「これでございますか?」
娘は、指先でそのお守りを摘まんだ。日に当たっていなかったせいもあるのだろう。桃色のそれは色褪せることなく、貰ったときのままだ。
「確か、お父様がどこかの剣術道場の先生から頂いたとか。随分可愛らしいお守りだと思い、ここに仕舞っておいたのですよ」
ほら、可愛らしい。娘は桃色を空に翳して嬉しそうに笑った。
「…不思議だなぁ、越さんよ」
縁側に座り、薫が手土産に置いて行った、春やの饅頭を頬張った。
あんたの娘さんだったか。道理で懐かしいはずだ。しかもその娘が選んだ男は、この国を影から支える、あの男だ。
不思議な縁だよな、神谷越路郎さん…
ごろりと縁側に横になる。
秋の空は高く、澄んでいる。庭には赤い彼岸花。今頃、お前さん、そっちの世界でオイラのこと、笑ってるんだろうな。先生、今頃気づいたんですかって。
無性に、薫や剣心と話がしたくなった。
越路郎の面影が残る一人娘と、そしてそのそばで彼女を守る緋村と。桃色のお守りを見せたら、薫は何と言うだろう。
どうせ剣心に文の返事をしなくてはならない。それならば、丁度いい。
酒と、娘がこしらえた煮物を土産に、あの道場まで足を運ぼう。
勝は寝転がったその場所で、思い切り伸びをした。
サワリと吹いた秋風に、彼岸花が微かに揺れていた。