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- Date:2025年03月13日
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ああ、思い出した。
煙管の雁首を煙草盆に近づけたとき、勝の口から自然と吐(つ)いて出た言葉。ようやく思い出したのだ。あの男を。
勝は、
「そうか。そうだったのか。道理で懐かしいはずだ」
そう一人ごち、改めて刻み煙草に火を点けた。
つい今しがた、藍色のりぼんをヒラヒラさせながら、勝の家を辞したのは、神谷道場の師範代、神谷薫だ。
出会いは夏。入道雲が青い空に広がる、暑い日だった。緋村剣心を訪ねたところ、本人は生憎不在、だが、代わりに満面の笑みで薫が迎え、そして冷えた麦湯を出してくれた。
話した時間はわずかだが、あの緋村が惚れた理由がすぐにわかった。
あれから一度か二度、会う機会があった。そして今日が三度目になろうか。
初めて会った時に感じた懐かしさ。それがどこに繋がるのか、ずっと考えていた。そして、ようやく今しがたわかったのだ。
「あの男の娘だ…そうだ、そうに違ぇねえ。」
薫の笑顔を初めて見たとき、懐かしいものと出会った気がしたのは、あの男の笑顔と似ていたからだ。ようやく、自分の中で思い出と現実が繋がった。
縁側に座り、煙管の吸い口から煙を身体に入れる。ふーっと長い息を吐けば、薄い白色の煙が勝の顔あたりを取り巻いた。
「勝先生、剣心から預かりものですよ」
神谷薫は、少しはにかみながら、土産の「春や」の饅頭の包みと共に、文を一通勝に渡した。その時見せた薫の笑顔。あれはまさしく父親のそれと同じだ。
勝は、饅頭を頬張りながら、空を見上げた。
時が、遡る。
薩摩に不穏な動きがあると密偵から聞いたのがつい先日の事。予想はしていた。新時代を築いたはずが、その土台はあまりに脆弱だった。会津に罪を被せ、総攻撃をかけ、おびただしい数の命を奪ったあの忌まわしい日から、およそ十年の月日が流れていた。人々の犠牲の上に立ち上げた新政府など、脆いものだ。現にこうして、不平分子が徒党を組み、新政府に攻撃を掛けようとしている。そして皮肉なもので、会津の戦で共に戦ったもの同志が袂を分かち、会津の生き残りと組んで薩摩を攻める。
また、戦が始まる…人々の瞳が不安で覆われた。
時代は巡る。会津の悪夢が、再び、場所を変え、薩摩で起ころうとしているのだ。
「ダメだ、西郷!」
密偵からの報告を聞き終わらないうちに、勝は大声を発していた。
おめえは動いちゃなんねえ。会津を潰してまで新政府を立ち上げたおめえが、同じ穴に入ってどうする!おめえは、この日本(くに)を強くする役目があるはずだ。人々を守り、
外国と肩を並べられるくらい、強くでかい国にする。それが、あの忌まわしい戦で一国を潰したせめてもの償いと、言っていたんじゃなかったのか…
勝は、文机に向かい、一筆認めた。
だが、虚しくも、その文は西郷の元に届けられることは無かった。
戦を終わらせるために、男たちは薩摩へ向かう。
その出発の前日、この戦で手柄をたてようと、猛者たちが集まったその中に、その男はいた。今から思えば、あれが「神谷越次郎」だったのだ。
「勝先生がお見えだ。皆を激励に来て下されたぞ」
指揮官がやや興奮した口ぶりで、集まっている男たちに声をかけた。
勝海舟。その名は江戸城を無血開城に導き、徳川の助命に一役を買ったことであまりに有名だ。その男が、今目の前にいることで、その場が湧きたった。
――激励にきたわけじゃねえんだ。
勝は心の中で叫ぶ。
あの、会津の惨劇を、二度と繰り返しちゃなんねえ。出来るなら、騒動起こす前に西郷を説得してぇ…
だが、歯車は回り続けているのだ。それも、どんどんと悪い方に。さしもの勝も、この歯車を止めることは出来ない。
自分を見る何十もの瞳が、熱く自分を刺す。
勝は、一呼吸置く。
「おめえさんたち…」
全員を見回した。
「死ぬなよ?」
ざわりとどよめきが起きる。ここに集まっているのはかつては武士と言われ、未だその矜持を持ち続けている男たちばかりだ。武士は、戦場(いくさば)を己の最期の場所にすることくらい、当たり前に思っている。老いも若きも皆、命を犠牲にする覚悟で、この日本(くに)を守るためにここに来ている。
だが、幕末の英雄は、死ぬなと言う。
「勝先生!俺らは、この命と引き換えに…」
馬鹿野郎!
男の声にかぶせるように、勝の怒号が響いた。
「この日本(くに)を守りてえなら、絶対死ぬな。お前さんたちがこの日本(くに)を支えねえで、一体誰が支えるってんだ。命粗末にするヤツは、国なんて守れねえよ!」
本当は、同じ日本人同士がドンパチやってる暇なんかねえんだ。異国と肩並べるなら、国を疲弊させちゃなんねえ…
「おいらからは以上だ。」
勝はもう一度男たちを見回した後、踵を返した。